本は読んだほうがいい。
読むなら古典がいい。古典とは、時代を超え、人間の本質や真理を兼ね備えているから読み継がれ、受け継がれている。
T&Yで長期で働いてくれる学生バイトには、卒業まで勤め上げてくれ就職のためにT&Yを辞めるときに必ずDカーネギーの「人を動かす」をプレゼントする。読んでも読まなくてもいい。ただ、学生と違い、社会人になると自分の好き嫌いにかかわらず多くの人と深く付き合わなければならない。人との付き合い方の本質と心理が書かれているこの本を、社会の立派な歯車となってほしいという願いを込めて渡す。
最近、リチャードドーキンスの「利己的な遺伝子」という古典を読んだ。名著だった。特に感銘を受けたのがネットでもスラングとして使われる「ミーム」というドーキンスの造語だ。「遺伝子(ジーン)」とは生物が代を重ねてDNAとして親から子へ受け継がれていく「情報」なのに対し、「ミーム」とはアイデアや習慣として誰にでも一瞬で伝わる「情報」のことだ。例えば料理のレシピは時代や場所を超えて味が伝わるので「ミーム」の一種といえる。
我々がいるこの学生服を着るという文化も「ミーム」の一種ではないかと思った。
主役は「学生」で舞台は「学校」だが、その主役の学生は3年もしくは6年でどんどん入れ替わっていくが、「学生服」というものはずっと生き続ける。さらに、その「学生服」は生存するために
袴→学ラン/セーラー→ブレザー→ジェンダー対応
と変化を続けつつ、しっかりとそこにあり続け、日本人の心に「学生服文化」という情報として刻まれている。
日本人が新海誠の映画をみたり、Mrs. GREEN APPLEの曲を聴いて情緒的になるのは、一時期「学生」の時期を通り、その文化を構成した一員だからだと思う。
この学生服というミームの主役は学生だが、このミームを支え、導いているのは間違いなく我々学生服業界のみんなだ。常に入れ替わる主役を迎え入れ、送り出しているこの業界の人間がこのミームの根底を支えているのは間違いない。しかし、一部の企業にその意識がない。
例えば「ハルタ」だ。「ハルタ」は学生服を構成する重要な要素の一つである「学生用ローファー」の唯一無二のブランドで、確実に学生服のミームを支える企業の一つである。しかし、最近のローファーブームに乗り、一般アパレル向けのローファー販売を増やしている。企業だから増やすのはいい。問題はその結果、学生向け商品が不足してしまっていることだ。今シーズンは一般男子学生用の6550の供給が壊滅的で途絶えてしまっている。たった1年途絶えても、その年代はローファーの文化が途絶えてしまう。流れが寸断されてしまうことを深く理解せず、供給をストップしてしまった。
また、別の例としてスカートのプリーツ加工をするプリーツ工場は、ほかのプリーツも請け負うことが多く例えば車のトラックのカーテン用のプリーツや、空気清浄機に使用するフィルターのプリーツも請け負っていることが多い。それはいいとして、ファッションアパレルで数年に一度プリーツ加工がはやることがある。そのはやりに乗り、学生用プリーツを押しのけってファッションにそのキャパを使ってしまう事がある。
プリーツもローファーも、なぜ流行るかといえば、日本人の根底にある学生服の情緒が寄与している部分が多いだろう。その根本のミームを壊すことになる、「供給を絞る」という事をなぜするのか?目先の利益は大事だか、自社やミームの存在価値を毀損することをしないでほしい。
我々学生服販売店は、まさに今、高校合格発表後の晴れやかな学生たちを迎え、一緒に喜びながら学生服を販売してミームを構成している。メーカーの皆さんにもっと現場の声を届けて、一緒にこの学生服というミームを育てていければと思う。

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